『七つの自転車の旅』写真館

第二章 津軽から秋田へ (そのA2008年)

2008年の4月末から5月頭にかけて、雑誌の取材で青森、
それも長年再訪を願っていた津軽に行かせてもらえることになりました。
行きの車中一泊、現地一泊のタイトな日程であったけれど、
北の海辺の至上の道々と再会し、存分に愉しんできました。
この二泊三日の具合を、そのAでご紹介いたします。
1994年はネガ撮りだったのに、、2008年は、ポジの時代も飛び越えてしまい、
デジタルでけっこうたくさん撮っています。
その@に引き続き、推奨BGMは、津軽三味線のアーティスト、
上妻宏光氏の『Solitude』(アルバム『Beams』に収録)であります。



↑『七つの自転車の旅』 p83、新しい節の4〜7行目のあたり。この列車はわれわれのような旅人には人気が高い。



↑p83の最後の行からp84の冒頭。いったい何年、こういう風景を夢想してきたことか。


↑p84の冒頭。乗り換えた列車の車窓。通学の高校生もすぐに皆降りた。


↑同じくp84の冒頭。ローカル線の旅は続く。


↑p84の4〜6行目。ようやく「ここだ」ということがわかった。私の小説のモチーフともなった駅。




↑p84の7行目。上野を出てから、すでに11時間ほど経過した。



p84の最後の行。海食崖、海食崖、海食崖。ときおり、道は海岸段丘の上にも出たりする。




↑p85の冒頭。屋根の向こうは海。こういう路地に痺れてしまうのだ。


↑p85の4行目に出てくる駅のところから、来た方角を振り返る。


↑p85の4〜5行目にかけての辺り。単線と道路と電線のみ。



↑p85の8行目。いかにも腹が減ってきたときに撮った画像だ。


↑p85の11〜12行目。さすがに車両は更新されているが、どうだい、このホームと道床ののんきぶり。


↑p86の3行目。この陰翳を彼も見ていたのか。玄関先で、すでに私邸の佇まいではない。




↑p86の5〜6行目。この部分での実際の進行方向は画面左側方向である。板塀がたまらない。


↑p89の5行目。ここに辿り着くまで、4〜5qにわたって人家なし、人影なし。ほぼ完全に無人地帯。


↑p89の10行目。p88の11〜14行目も同じあたりの説明。ともかく無人、ともかく広い、ともかく寂しい。


↑p90、新しい節の1行目。この旧い建物は注意していないと見落としそうだった。




↑p91の2行目の上あたり。湖は画面右手にも見えた。県道は件の集落に向かう。


↑p91の10〜11行目。入れ子構造のような、不思議な海岸地形である。


↑再び北に向かって走り始める。これが集落のメインストリートだ。橋はもう少し先。


↑p91の最後の行から、p92の3行目にかけて。この板塀の味はもはや説明不要であろう。


↑p92の7行目のあたり。1994年の旅を描写しているp56の11〜13行目の場所でもある。


↑p92の8行目の下。折り返し点を目指している。


↑p93の7〜8行目。ああたまらんね。また食べに行きたいです。


↑p93の12〜13行目。津軽にもところどころ北海道的な景観が広がっていたりする。


↑p94の1行目のあたりなんだけど、港に寄ったことは書いてなかったね。ズームの望遠端で撮ってるために、
周辺光量がかなり落ちてますな。このあと、大急ぎで輪行し、同行のN氏とともに車上の人に。ホッケの干物を
食らいつつ、北東北の春のたそがれを特急の車窓からじっと眺めていたのでありました。

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